今、日本のリーダーに必要なこと
- 2011/08/31 21:20
- カテゴリー:教育
先日の朝日新聞に「板橋区で無料の塾」を開講している方についての記事がありました。
板橋区は給食費の補助等がもらえる「就学援助」の制度を利用する人が4割近くもいるそうです。
そんな中、公立の小中学校に通う子供達を対象に「無料の塾」をボランティアで経営していると。
この男性自身、有り余る財産や時間を持っているわけではなく、事業失敗の経験があり、現在も昼と夜のダブルワークをしながら、当時の借金を返済しているとか。
この話自体、本当に素晴らしいことです。
それは一切否定する余地もない。
でも、何かがおかしいと思うのです。
根本的な何かが。。。
こないだ、夜遅くタクシーで帰宅する途中、タクシーの運ちゃんと大激論を交わしたのを思い出しました。
大激論は走行ルートの話でもタクシー料金についての話でもありません。日本の未来の話です(笑)
夜中の2時頃、おっちゃん二人で(運転手と私)狭い車内の中、日本の未来を語り合う(苦笑)
「まずは未来に希望を持てる国にならないと・・・」
「人口減少は国力低下の根本的な原因の一つ・・・」
「移民政策を取らないなら、人口増加するには子供を増やさねば・・・」
「子供一人育てるのに数千万円もかかる馬鹿な状態を改善しないと・・・」
「そうだ、そうだ」と盛り上がっていたのでした。
運ちゃんいわく「高校無償化策を進めるべきだ!」と。
ここで意見が食い違う。
実際に中学生の子供を持つ親としては、違うと思うんですねー。
高校を無償化しても人口は増えない!(きっぱり)
公立高校の入学金と授業料がいくらなのか?というのが本質的な問題ではない。
冒頭の無料の塾の話を思い出して欲しい。
なぜ、学校に行っているのに、さらに別途、塾に行かねばならないのか?
そこがおかしいと思うのですよ。
なぜ、お金に余裕のある家は子供を私立の学校に行かせたがるのか?
問題の本質はそこにある。
いくら無償化されたって、今のほとんどの公立高校は、別途、塾に通わねばならない。
僕の通っていた高校は進学校と言われていたけど、皆、4年目は駿河台とか代々木に通っていた。(予備校ね♪)
8割以上が進学ったって、その半分が予備校では進学校って言えるのだろうか?
加えて、教師の質の問題。
近所の小学校には、親の目から見ても(ごく偶にしかその先生に会わなくても)おかしいと思う教諭というのが複数いる。
そんな先生が教科別担任だったりすると、てきめんにその科目の成績が軒並み下がる。うちの子だけでなく、近所中、その学校に通っている児童、みんな下がるのだ。
私立ならそんな先生は淘汰される。
具体的にはクビになったり、法的にそれができなくても第一線からは外され、事務処理などの仕事に回される。(事務職がどうこう、というのではなく、直接子供に接しない仕事という意味です。)
本人の希望と適材適所が必ずしも一致しないのだから仕方がない。
しかしその仕組みが公立学校にはない。
校長に訴えたところで、できるとしても次の異動の対象になる程度の話だ。
異動して別の学校で同じことをしている。これでは何の意味もない。目の前の臭い者にフタをしただけだ。
そのため、組織として崩壊しているところがいくつも見受けられる。
今春、ある少年が公立中学に入った。
中学校は小学校より学区が広いので、いくつかの小学校から集まってクラス編成される。
特定の小学校からきた児童達(中学なら生徒か)が徹底的に出来が悪い。というか、授業が成り立たない。
座っていられないというか、喋りっぱなしだったり。。。
聞けば、彼らが卒業した小学校はいわゆる学校崩壊しており、小学校の授業自体が成り立っていなかったとか。
水は低いところに流れる。
簡単に流れていく。
その中で、自らの"普通"を維持していくにはどうするのか?
塾だとかの習い事に頼るわけだ。
危機的状況というのはそこにある。
昔は他人より上を目指すために塾に通った。
より難しい学校に入るために塾に通ったが、今は違う。
落ちこぼれにならないために塾に通うのだ。
これって、仕組みとして成り立っていませんよ。すでに。
私立の学校は厳しい。躾も授業も厳しい。
でも、学校だけに行っていれば、その年代に必要な学力や人間関係など必要な経験がそこだけでできる。
部活に宿題と子供達本人も大変ではあるが、塾や習い事に行く必要もないし、行く時間もない。
教師もひとり一人の進路を真剣に考える。直接自分の業績にもつながるので必死だ。公立高校の先生とは背景が違う。
どちらが合理的なのか?
同じ条件でどちらでも選べるのであれば、どの親も間違いなく私立を選ぶだろう。
戻って、タクシーの運ちゃんとの話。
いくら学費が無料になっても、結局それで事足りないのであれば、決して安いものではないと思うわけです。
だから、その方向にパワーをかけるのではなく、質の向上を目指さねばならない。
私立と違って公立の先生って、よっぽどのマイナスがなければ、問題なく翌年も教師という職務に就ける。
そんな会社って、ないと思うんですよね。いまどき。
私立の高校教師のように成果が上がらないと生き残れないような仕組みが必要。
公立の先生ほど、のほほんと生きていても大丈夫な世界は、郵便局が民営化された今、他にはない。(きっぱり)
この国の未来を作るのは子供達な訳ですよ。
そこに投資しないでどうするんでしょう?
今日明日の生活費に、集めた年金ばら撒いて、未来の子供達が返済する赤字国債を刷りまくって、明るい未来なんか有り得ない。
話を元に戻すと、理想を言えば、日本全国すべての塾が廃業せざるを得ないような公立学校にする。
そこまでいかなくても、ましな教育をしていかないと、いくら無料化したところで、まったく意味がない。
ボランティアで塾を経営することはもの凄く立派ではあるけれど、むしろそれを見ている、その地元の先生達はどう考えているのが知りたいですね。
頑張っている先生がいるなら、その先生がボランティアを引き受けて学校の指導要綱に縛られないで塾で教えているとか、そんなことって、実際ないんだろうなぁ。
もちろん、先生達だけでどうにかなる問題ではなく、教育委員会とか文科省の問題もある。
そもそも、民間は出来が悪いと左遷されるけど公務員は別、というところから直さないといけない。
中小企業なんて普通にクビになっているわけですよ。事実上。
クビにまですることはないかもしれないけど、「受益者の満足を計測する仕組み」は絶対に必要なんです!
計測してますか?
公立学校ははじめとする公共サービスは、顧客満足の計測をして自己のサービスのレベルを適正に把握していますか?
満足を与えられない人を同じ職務に就けておくこと自体が悪です。
お互い不幸ですよ。サービスを受ける側も提供する側も。
そこを直さないと、いくら国家予算を組んだって駄目。
まず、そこで働く人(主に教師)のレベルを上げる。
向いていない人は他の職務に異動させる。(他の学校に異動、ではなく、教職から異動していただく。)
以前も書いたが、学校社会だけしか知らない教師は不要です。
だって、ほとんどの学生は卒業したら社会に出て行くわけです。
しかし、教える教師が社会のことを知らないで何が教えられるのだろうか?
学校社会でしか通用しないことを教えているから、日本の新卒社員は膨大な社員教育を受けないとビジネスマン初級レベルにすらなれない。(この話は詳しくはこちらを )
さらには教師の側にも武器を持たせなければならない。
体罰は駄目、ちょっと強く叱っただけで親が出てくるようであれば、おっかなくって真剣に教育なんてできない。
その点、私立の学校は武器を持っている。
私立小学校で学校崩壊しているところがないのは、単にこの武器があるからですね。
もちろん、体罰とか強烈な叱責が許されているなんて言うことはないのだが、駄目な奴は退学させる。
ただそれだけ。
「ルールが守れないならお引き取りください」というただ一言。
その意味では公立高校はこの強い強制力を持っているわけだが、全体の組織としてうまく機能しているところは少ない。
板橋区のダブルワークをしながら、友人達を教師として集めてボランティアで塾を行っている方は凄い。
でも、そんな頑張りをしなくても良い、世の中に、少しでもこの国が進み始めると、僕ら庶民にとっても未来が明るく見えてくるのではないだろうか。
このままこの国が進んで行ったらえらいことになるぞ、と皆思っている。
だから、未来に希望が持てない。
同じ、駄目な環境の中でも、少しずつでも良い方向に行っているなら、あるいはどちらに行けば良くなるのかが見えていれば、未来に希望が持てる。
今は調整型のリーダーは、この国には要らない。
明確なビジョンを示し、邁進していく強いリーダーが必要なのだと思う。
少しでも明るい未来が想像できるようになった瞬間、この国は本当に復興に向けて強く動き出すことができるのだと思う。