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爽快な気持ちを期待していたのかもしれない ~震災ボランティア体験記~

ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか?

私は東日本大震災の災害ボランティアに参加してきましたのでご報告。

同行の面々は、次の通り。
まず最年少は、無口なダイバーでもある高校2年の柔道部員。
次にRock balancing artistでもある小説家のちとく氏。
最年長は(といっても僕の2歳年上だが)数か月前に沢登りの途中に事故に会い、背骨を折って瀕死の重傷から復帰したばかりのエレベータ施工会社社長でもある僕にとっては山の師匠。
それから私の合計4名。



車には20リットルのガソリンと簡易シャワーを積み込み、いざ出発。
日帰りということもあり、被災地は東京から近い福島県いわき市を選択。
Google先生によると、いわきには3つのボランティアセンターがあり、いわき中央が最も大規模らしい。
当初は、勿来ボランティアセンターを選択肢に挙げていたが、ブログを読むと受付30分後には締め切るなど、多数のボランティアが来ているらしい。
そんな情報があったので、いわきの3つのボランティアセンターの中では最も小規模な小名浜に目的地を変更する。

ボランティアセンターの駐車場として指定されている小名浜市民会館を目指す。
東京からは2時間とちょっと。
常磐道は少し波打っているところもあるが、概ね順調。
いわき市に入ってからの一般道は、ところどころ、アスファルトが隆起や沈下して波打ってしまっているところがある。
木村家の10年物のトヨタ車はサスペンションがへたってしまっているので上下動をする度に車体がガツンと音を立てる。(車が壊れるー)

小名浜市民会館にはボランティアと思われる方々が、何台か車を停めている。
長髪の頭にタオルを巻き、長靴姿の若者達。
我々も着替える。

受付すると自動的にボランティア保険に加入することになる。
ボランティア本人に料金はかからない。
説明がなかったのでよくわからないが、国か県か市か、あるいはボランティア団体が負担しているのだろう。
保険証を見ると期限は来年の3月末までとなっている。「また来てね」ということだろうか。

オリエンテーションでは簡単な注意事項を説明される。
「予定の作業以外を依頼されたらスタッフに相談しなさい」とか、「場所によってはアスベスト等もあるので車に戻って昼食をとった方が良い」とか。
10名ずつのグループに分かれ、活動する。
各グループごとにリーダーを決めて、連絡事項等はそのリーダーを通して全体に伝えられる。合理的だ。

我々のチームは田んぼの瓦礫除去の仕事をすることになる。
ここで、最年少の無口の柔道部員は僕らとは別チームになり、別れ別れとなる。
後で聞いたところによると彼は別の場所で砂を掻き出す作業チームに配属されたらしい。ひたすらスコップを使っていたようだ。

小説家と奇跡の生還を果たした山の師匠と私の3人は小名浜マリンタワーにほど近い田んぼに移動する。
ここでは3チーム合計30名が瓦礫の除去をする。
ちょうど田んぼも3枚なので各チーム毎に割り振って除去開始。

大きなモノや重たいモノの移動には、男の人手が必要なので、その場合はチームを超えて合同で作業をする。

様々なものが田んぼに突き刺さっている。

幼稚園の大きな棚には、ひらがなで子供達の名前が書かれている。
この棚がここに流されてきた当日、園児達の荷物がそこには入っていたはずだ。
近くには、紙芝居の絵の切れ端も泥の中に埋まっていた。

小学校の何かの大会の優勝盾が割れている。
泥で洗われたぬいぐるみ。
ステンレス製の3×5m四方もある大きな生け簀が逆さまになって泥の中にめり込んでいる。
4人がかりで起こし、15人がかりで道の向こう側の持ち主の家の庭に運び込んだ。
屋根だったのだろうか、トタンの付いた材木だとか、家の構造物と思われる太い柱も、この田んぼに流れ着いている。

作業には危険も伴う。
家の構造物と思われる太い柱が組み合わさった瓦礫を10名以上で運ぶ際、僕は誤って材木の隙間に指を挟んでしまった。
「いたたたた!」という僕の声に周りが気付き、斜めに歪んだ材木から力を抜いてくれたから助かったものの、そのままあと数センチ力が加わっていたら、僕の左手の人差し指が切断されていた。
(ま、そのための保険か。)

幸いの好天に恵まれ、むしろ暑い中、作業を続ける。

その中での、日本人らしい会話。
「どのレベルまでごみは拾いますか?」という質問に「通常田んぼにないと思われるものは拾ってください」という回答。
つまり、小枝はそのままで、発泡スチロールや建材の石膏ボードなどは除去せよ、という意味だろうか。

瓦礫除去も日本人品質だ。数時間後には、見事にそれが現実世界に再現される。

15時半には一日の作業を終了する。
田起こしすれば、水を引いてすぐにでも田植えができそうな田んぼに蘇る。(現実問題としては、塩の被害は受けているのでそう簡単ではないだろうが。ただ、見た目は綺麗になった。)

作業の終わり間際に、その田んぼの持ち主だという年配の女性が現れる。
ダンボールで何箱もの缶ジュースをふるまう。そして、ひと抱えものお菓子。

話を聞くと、見える範囲、この周りの山や田んぼは彼女の土地らしい。大地主の資産家だ。
おそらく、その日そこでボランティアで作業をしていた30人の中で、彼女よりも資産を持っている人はいないのではなかろうか。

家を潰され、住むところもなく困っている人を助けに来た。
ボランティアセンターで田んぼの瓦礫除去の仕事に割り振られ、何の疑問もなく丸1日汗を流した。
その1日で行ったのは最低限の住む場所を確保するとかという話ではなく、たくさんある資産の中の一部の田んぼを使えるようにすること、だった。

そして帰路につく。
ボランティアセンターでは、丸1日ともに汗を流した仲間達と別れる。「今日は気持ちよく作業ができました!ありがとうございます!」と言われ、笑顔で握手をした。

様々な場所から集まってきた人達が、一瞬だけ交差する出会いと別れ。
センターの受け付けは佐賀のNPO法人の方。
一緒に汗を流したのは、岐阜の女性や埼玉のあんちゃん、神奈川の同年輩のおっちゃん。(ごめん。僕より若いか。)

帰り道は海岸通りをしばらく走り、その後、高速へ。
カーラジオからは地元のFM放送が流れる。
民放なのだが、NHKのような雰囲気の放送だ。
「本日の市内各所の放射線測定数値放送」だとか「各避難所の現在の避難者収容人数」などを延々と放送している。

なんだか、いろんな想いが頭をよぎる。
出会った人、埋まっていたもの、大地主の女性、ボランティアの列の横を通過する際に目礼をする地元の車、団体や組織の仕組み。

良いとか悪い、好きとか嫌いでは片づけられない複雑な想い。
心地よいとも思うが、切なく哀しい想いもあり、さらには割り切れない思いをも複雑に絡み合う。
「ボランティアに行く」のに、自分の気持ちが爽快になることを、どこかで期待していたのかもしれない。

他人の役に立つというのは気持ちの良いことなはずだった。
しかし、複雑な思いが絡み合う現実の世界がそこにはあった。

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