脳細胞は、一度壊れると二度と再生はしない。
僕はこの数年間、病んでいた。
その期間の中には、本当に色々なことがあったし、色々なことを想い、そして、死と直面する毎日を送り、家族をはじめ、たくさんの方に迷惑もかけた。
でも、脳というのは、細胞は復活しなくても、脳全体の機能としては少しずつ戻るらしい。
ようやく最近、少し長い文章も書けるようになってきたので、4年ぶりにこのブログを更新しました。
昨夜、「スティーブジョブズの最後の言葉」というYoutube動画を観た。
https://www.youtube.com/watch?v=-lq4tnggpEw
短い動画だし、むずかしいことを言っている動画ではないので、あらためてここで内容の解説はしない。
要点としては、「富では本当の幸せは得られない」ということを言っている。
ジョブズが亡くなってから時間も経ち、今頃なんでこんな動画が出てきたのか?とか、そもそもの出典があやしい、とか、いろんな意見があります。
たぶん、本人の身近な人が作ったのではなく、故人を悼む方が彼の生き様をみて、想像の中で作ったものなのかもしれない。(日本語字幕だし。)
そもそも、ジョブズが「富を目指して仕事をしていたのではないのでは?」というところでもあるが、それもここでは置いておく。
少なくとも、100万回近く再生され、1000人近くの人がシェアしている動画なのだから、それなりに人々の心を動かしていることには間違いがないだろう。
さて、今回はこの動画のテーマでもある、「幸せ」についてを考えてみたい。
この動画の言う通り、お金では幸せになれないのであれば、なぜ、人は、お金が幸せを生み出すと誤認するのだろうか?
お金が幸せを生み出すのではないという人が多いけど、本当にそうなのか?
その言葉には、若干の違和感を感じる人が多いのではないだろうか。
少なくとも、僕は違和感を感じた。
その違和感が何なのか?ということを考えてみた。
まず、ここで、この動画では言っていない一つの事実を言っておきたい。
不幸に貧乏が重なると地獄である。
これは事実だと思う。
僕自身、18歳の時に新聞奨学生に申し込み、実家を飛び出し4畳半一間の部屋からスタートした。
途中、バブル経済の楽な時代を過ごし、その頃、自らの甘さで背負った借金の返済に、その後の10年以上を費やした。
貧乏は結構味わったので、「不幸に貧乏が重なると地獄」であることは身にしみてわかる。
世の中にはいろんな不幸がある。
自分の心が招く不幸もあるし、戦争や犯罪などに巻き込まれて起きる、ある意味、不可抗力に満ちた不幸もある。
そんな不幸に陥った時に、貧乏が重なると地獄だ。
誰しもが、いくつもの不幸を経験しながら大人になる。
そんな不幸を経験する中で、お金が不幸を少しだけやわらげてくれることを知るのではないだろうか。
不幸をやわらげてくれるお金。
例えその不幸が、不可抗力である戦争に巻き込まれた時であったとしても、お金が不幸をやわらげてくれるのは事実だ。
お金によって海外に逃げ出すことができるかもしれないし、自宅に核シェルターを作ることができるかもしれない。
少しだけ幸せ度をあげてくれるお金。
そんなところから、お金が幸せを生んでくれると人は誤認するのだろう。
でも、お金は不幸をやわらげてくれるけど、本当の幸せはもたらさない。
幸せをもたらさない、とまで言うと言い過ぎかも知れないが、少なくとも、お金はただの道具に過ぎない。
道具は使って何ぼである。
なので、お金を増やすことが目的になってしまっては本末転倒である。
何のためにお金がいるのか?
自分の幸せを増やすには、いつ何をしたいのか?
それをするために、時間とお金がどれ位必要なのか?
一般的に、時間とお金は反比例する。
お金がある人は時間がないことが多いし、時間のある人はお金のない人が多い。
その両方を手に入れるために働いている?
それはそうかもしれない。
でも、どれだけの金額とどれだけの時間があれば、幸せになれるのだろうか?という、具体的な指標を持っている人は少ないのではないだろうか。
いつか、時間とお金を手に入れたい。
と、思っているだけでは、現実に両方を手に入れられる人は少ないだろう。
いつまでにいくら手に入れるのか?
そして、そのお金を何にどう使うのが、自分の幸せに結びつくのか?
漠然とした夢は実現できない。
夢を現実にするには、具体的な目に浮かぶ目標が必要である。
いつまでにどうなる。(どうする、でもよい。)
この「どうなる」が具体的であればあるほど、実現の可能性は高い。
別に最終目標ではなくてもよい。
近未来の小さな目標でも、良いと思う。
その小さな目標の実現を積み重ねることによって、豊かな人生が送れるのではないだろうか?
僕の直近の目標は「15万バーツ」のお金と「1ヶ月」の時間を作ることだ。
小さいなぁ。でも、僕はこれで幸せなのである。
さて、本当の幸せはどこにある?
人は死ぬ時、それまでの人生が走馬灯の様に蘇る、と言われている。
走馬灯の様に蘇るかどうかは別として、自らが望まない死に直面した時に、これまでの人生を振り返るのは当たり前かもしれない。
そして想う。
自分にとって、自分の人生は何だったのだろうか?
さて、
あなたは、自分の人生を何のために、使うのだろうか?