みなさま、新年あけましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いいたします。
さて、昨日の通勤路で思ったこと。
自宅から駅に向かう途中の道は、車はめったに通らない道。(センターラインがある細い道)
車が少ないせいか、朝はこの道で駅に向かう自転車が多い。
並行しているバス通りは交通量が多く、自転車では走りづらいからなのでしょう。
駅までの道のりでは、小学校の通学路を横切ります。
この通学路には、押しボタン信号が付いているのですが、小学生は律儀に100%ルールを守る。
反面、信号を無視する自転車の多い事、多い事。
彼らの脳裏には「大人はルールを守らない!」という事実が完全に刻みこまれているでしょう。
自分が片側1車線の道を自転車で走っていて、一方通行の細い通学路との交差点には押しボタン信号がある。
この一方通行の道はスクールゾーンに設定されているので、朝の通勤時間帯は車は通らない。
左右を見て小学生の横断がなければ、信号は無視するのが大人の常識?
これって、どう思います?
大人も100%確実に信号を守るべきだ、と思う人って多いのかな?
言うのは簡単だけど、守ることは合理性に欠ける、とも思います。
僕は、自分の子供には「自分が人を傷つける可能性があるなら絶対守るべき。
自分の身を守るためであるなら、自分の責任において守らないでもよい。」と
教えています。(これについては賛否両論あると思います。この話は後程。)
彼ら小学生は、やがて中学生になり、いずれ、皆、大人になっていく。
その過程で、彼らはどの様に自分の中でこの事実を消化していくのだろうか?
親のしつけでも、学校のルールでも「きまりを守る」というのは、筆頭に挙げられる事項でしょう。
もちろん、決まりを守らないでもよい、なんていうことを言おうとは思いません。
守らないと、社会という共同組織は成り立ちませんから。
ただ、決まりを守ることにとらわれて、もっと大事なことを忘れていないか?という話です。
ホリエモンが塀の向こう側に落ちた時にもメールやブログに書きましたが、彼の様な倫理観を作り上げているのは「ルールを守れ」ということを徹底して言われ、守ってきた反動ではないか?とも思うのです。
彼は日本では最難関と言われる東京大学に入学しているくらいですから、勉強はできるのでしょう。普通に考えると優等生ですよね。
その彼が塀の向こう側に落ちることになった。
彼は荒稼ぎをするにあたっても、社会のルールである法律遵守には注意を払っていた。
むしろ、法律の網をすり抜けた裏技的な技法で荒稼ぎをした。
話の本筋でもありませんので今さら詳しくは説明はしませんが、彼は自社の株式を分割をすることで、市場に流通する株券を減らし、意図的に市場に「ゆがみ」を作って株価を吊り上げた。
それによって自社の時価総額を増やしていったわけです。(一般投機家から金を巻き上げた)
株式分割によって株価を吊り上げるこの方法を取り締まる法律はありません。(当り前ですが)
本当は検察当局も、タックスヘイブンの投資事業組合を使った金の還流システム全体を摘発したかったのでしょうけども、そこまでは手が及ばなかった。
結局、有価証券報告書への虚偽記載などの罪で実刑判決を受けたわけです。
法律に違反した部分については微罪とまでは言わないですが、そんな罪でいきなり実刑なの?という感覚を、僕は持ちました。
虚偽記載で有罪となった事例では、会社が倒産して沢山の人に迷惑を掛けた事案では遡って虚偽記載の捜査が行われた例は沢山ありますが、普通に運営されている会社に対して強制捜査が行われた例はあまり聞いた事がありません。
なので、捜査当局の意図、を感じてしまうのです。
ただ、彼は倫理的には「黒」だと思います。僕も。だから、結果オーライ?
法治国家でしょ?日本は。という声も聞こえてきそう。
大岡裁きや必殺仕事人みたいのが大好きな日本人にとっては、ライブドア事件は胸のすく話なのかもしれない。(あ、僕も好きですけどね。必殺シリーズは。)
ホリエモンって、子供の頃は真面目に信号を守って道路を渡っていた小学生だったのかな?って思います。
「ルールを守れ」ということを学生時代に徹底して仕込まれたのかな?って。
ルールを守ることにばかりにとらわれ過ぎて、盲目的にルールを守ることがよいことだと思ってしまう人って多い。
しかし、彼はそんなに「うぶ」でもなく、そんな社会の裏を掻いた。
何を言いたいのか?
ルールを守ることよりも大事なことがあるでしょ?という話。
僕は、倫理的に考えて、それって良いことなの?悪いことなの?という観点で価値観の尺度を持つべきだと思っています。
盲目的に「ルールは守らねばならない」と考えるのは、ある意味良いことなのか?悪いことなのか?の判断を他人にゆだねてしまうことになると思うのですよ。
そのルールを作った人に判断を委ねてしまっている。
人を殺しては駄目とか、盗んでは駄目、というわかりやすい話はどうでもよい。
そういう話ではなく、校則だとか法律でさえ、おかしなものはある訳で、それを盲目的に守ることが決して良いことだとは思えません。
例えば、煙草。
これって、生物学的に言ったら100%体に悪いものでしょう。
これを国家として販売していく、という法律が、今も存在しているのはご存知の通り。
税収が・・・?
いやいや、タバコ税の収入なんて、国民が健康を損なう損失に比べたら、比ではありませんよ。
トータルで考えたら税収などは微々たるものですし、少し考えれば、代替財源が作れない訳はありません。
最近話題のハンガリーのポテチ税の方が、数倍「まし」ですよね(笑)
そのルールは何故できたのか?を考える能力が、最近、著しく低くなっていないだろうか?
なぜ?をまったく考えずに「守らねばならない」で思考停止。
赤信号の話。
まだこの国に今ほど外国人が住んでいなかった30年位前のテレビ番組で、ある外国人がインタビューに答えていました。
リポーターの「日本に来て一番びっくりしたことは何ですか?」という問いに、「深夜の田んぼの中の交差点で、歩行者が信号が青になるのを黙って待っているのを見て、気持ち悪いと思いました。」と、答えていました。
僕も気持ち悪いと思います。
だって、見通しが良い交差点で車なんか来ないのが百も承知なのに、歩行者が信号を守ることに何の意味があるのでしょうか?
そのルールは何故できたのか?っていうことを、少し考えればわかる話ですよね?
これが、歩行者ではなく、車であれば、信号は守らねばなりません。
暗闇から人が飛び出してくるかもしれませんし。
息子や娘に「歩行者なら場合によっては信号は守らなくても良いよ」と教える父親の話。(僕のことですが)
むしろ、子供達は「父さん、何言ってんの?守らなきゃ駄目だよ。」と言います。
でも、何故?そのルールができたのか?を考えて、その理由を理解しなければならないことを説明します。
歩行者の場合は、他人を傷つけるということよりも、自分の身を守るためにそのルールが存在する。
で、あれば、守らなくても自分が困るだけ。
その場合、オウンリスクで守らないことは僕の倫理観では○です。
(ご理解いただけていると思いますが、車がバンバン走っている道をかまわずに渡ってよいと言っているのでは、ありませんよー。)
しかし、他人を傷つける可能性のある乗り物に乗っているならルールは守らねばならない。
それが赤信号の本当の意味だと思っています。
日常的に当たり前と思っていることでも、何故?って改めて考えると、おかしなことは沢山ありますよね?
それが、ブログネタになったりしているわけですけど。。。(苦笑)
では、今年もそれなりにルールを守りつつ、頑張っていきましょ~♪
(この言葉、相容れない人って、いるだろうな)