日本は原子力発電を、今、やめるべきではないと僕は思っています。
ただ、福島で明らかになった通り、リスクの高い発電方法ではあるので、縮小すべきであるとは思っています。
でも今すぐにゼロにすべきではない。
少なくとも数基、ないし十数基は、当面保持し続けるべきであると考えます。
マスコミの報道などを見ていても、kwあたりの発電効率がどうのとか、そんな議論がされていますが、そんな議論は見当はずれも良いところだと思います。
諸外国から見たら、特に中国や北朝鮮から見ると、日本の原子力政策では平和利用と言いながらも、兵器転用可能な核技術を保持し、物理的なプルトニウムも2010年末時点で45トンも保持している事実が(海外保有分を含む)外交上のカードの一枚になっているわけです。
日本人がどう考えようとそんなことは関係なく、各国の情報部や政府は「もし、日本が本気で核兵器を持とうと思ったら、かなり短時間でそれを実現できる」というその現実を知っているし、それを踏まえた上で、日本外交を展開しているわけです。(実際にこの国がそんな決断をすることは今のところ考えられないが。それはそれ。現実は現実。)
核は外交上では有効なカードであり、実際にそのカードを切ることはできないが、その有効なカードであることを少なくとも認識し、そのカードを捨てる覚悟を固めた上で、廃止するなら廃止しないと駄目だよ、という話なんですよねー。
世界平和って、祈るだけでは実現しないし、実際には戦争にならないためにも外交が重要。
核兵器を持つべきだと言っているのではなく、戦争回避のための唯一の手段は外交であり、その外交交渉のカードは一枚でも多く持っておくべきだと思うのです。
そこにはkwあたりの発電単価なんてどーでもよい。
そういう話ではない、というのはそういう意味です。
世界の中の「のび太」は現実世界では生き続けられない。
何十人ものスネ夫やジャイアンに喰い殺されてしまうでしょう。
そして、現実世界ではドラえもんはいない。(米国はドラえもんではありません。)
現実世界では「狂人」と言われる指導者も何人もいます。
彼らにとって、平和を祈るだけでボサッと突っ立っているのび太は、カモにしか見えないでしょうね。
そんなこんなの議論がマスコミなどで、ほとんど行われないのは悲劇ですね。
また、これらのことを意識すらしないで、すべての核施設を閉鎖するという結論を下すのは問題外で、その決断を下した際のリスクを十分認識した上で、下すべき決断だと思うのです。